名古屋高等裁判所 昭和26年(ナ)9号 判決
原告 森本良 外五名
被告 岐阜県選挙管理委員会
補助参加人 清水美里
一、主 文
昭和二十六年四月三十日執行の岐阜県多治見市選挙区における岐阜県議会議員選挙の当選人清水美里の当選の効力に関する原告等の異議申立につき被告が昭和二十六年七月三日した決定はこれを取消す。
昭和二十六年四月三十日執行の岐阜県多治見市選挙区における岐阜県議会議員選挙の当選人清水美里の当選を無効とする。
訴訟費用は参加によつて生じた部分は参加人の負担としその他は被告の負担とする。
二、事 実
原告等代理人は、主文同旨の判決を求め、その請求原因として次のとおり陳述した。
昭和二十六年四月三十日執行の岐阜県多治見市選挙区における岐阜県議会議員選挙において清水美里は当選人と決定された。原告等は選挙人名簿に登載された選挙人である。右選挙の当選人と決定された清水美里は選挙権及び被選挙権を有しない者であつて、その当選は無効である。すなわち右清水美里は元来岐阜県土岐郡泉町久尻四百八十番地に一戸を構え、これを住所として妻子とともに生活していたものであるが、昭和二十六年三月二十六日右住所を同県多治見市昭和町二丁目に移転した。従つて同人は右泉町における右選挙の選挙権を喪失し、一方多治見市においては公職選挙法第九条第二項所定の要件を右選挙期日において具備せず、その選挙の選挙権を有しないものであるとともに同法第十条第一項第三号所定の要件を欠き被選挙権をも有しないものである。右清水美重が住所を移転した具体的事実は、
一、右清水美里は昭和二十六年三月二十六日多治見市に移転した旨の挨拶を多治見市議会議員穂積勝之助(元同市議会議長)になし又同年五月六日多治見市小田町における座談会の席上自ら右日時に多治見市に移住した旨言明した。
二、右清水美里は同年三月二十七日元住所に在つた家財道具をトラツクに満載し、前記多治見市の住所に運搬して元住所を引揚げた。右運搬物件中には仏壇も存在した。
三、同人はその全家族である妻かな子、長男光美、次男正孝、長女わか子、三男美治を引連れ元住所から多治見市の新住所に移転し、ここに同居し生活をしている。
四、同人の長男光美、次男正孝の両名は昭和二十六年三月二十五日付で土岐津小学校から転校、多治見市昭和小学校に入学し、更に長女わか子は同年四月七日同校に新入学した。しかして、右三名の保護者である清水美里の住所は多治見市昭和町二丁目と公文書に登載されている。
五、同人は岐阜県議会議員候補者として本件選挙運動期間中演説会場並びに街頭において選挙人一般及び聴衆に対し次のように住所を多治見市に移転した旨の演説をなし、自己に投票を求めた。
「県会議員候補者清水美里、多治見で骨を埋める清水美里、清水美里でございます。清水美里は元婦人会講師、現職家庭裁判所調停委員、地方裁判所各種調停委員、政治を以て一生を貫く清水美里、清水美里でございます。昭和町二丁目に土地及び家屋を持ち、子供も昭和の学校の世話になつています。清水美里、昭和町に本籍を持ち、多治見に骨を埋める覚悟の清水美里、多治見市の皆様と運命を共にする決心の清水美里は明るい県政を念願として立候補致しました。………県会議員候補者清水美里に、来る三十日には皆様の清き一票を清水美里に是非ともお願い致します。重ねて皆様の絶大なる御支援を清水美里に御願い申し上げます。」
六、右のように清水美里は昭和二十六年三月二十六日以降、家族を同伴して多治見市昭和町二丁目に名実ともに移転し、一戸を構えて衣食住は勿論公私一切の生活を営み現在に及んでいるものである。
七、更に清水美里が多治見市に住所を移転した事実は次の事実によるも明瞭であつて疑を容れない。
(1) 同人の元住所であつた土岐郡泉町久尻四百八十番地の元住居には、昭和二十六年四月上旬同郡土岐津町辻町千七百二十一番地稲垣経太郎が妻すゞ及び娘綾子、同秋子、長男広幸とともに家財道具を搬入転住し同人等がこれを本拠として生活しており、清水美里並びに同人の家族は全然住んでいない。
(2) 稲垣経太郎の元住家には同人の家財道具等存在せず空家となつている。同人は同月二十五日附で主要食糧配給登録を土岐津町から泉町に移動している。
(3) 稲垣経太郎は泉町の清水美里の元住家に移転したので隣家に対し移転の挨拶をなし、その印として慣例に従い葉書二十枚を配付した。
(4) 清水美里の元住家の町内において配給関係の便宜、親睦を図るため旧町内会類似の会が存在しており、(本質は異る)その会員名簿の清水美里の名義は稲垣経太郎移転後抹消され、稲垣経太郎に変更された。
(5) 清水美里は元住家に対する権利一切を稲垣経太郎に金十八万円で売渡した。更に清水美里は右住家に架設されていた電話(土岐津局二四五番)を前田仲一に売却した。
(6) 清水美里は多治見市の新住居を前所有者長沼豊太郎から買受ける契約をなし、内金、残額の支払方法を明確に定めており(この契約は清水美里が昭和二十六年三月二十六日移転の際なされた。)、同人自身家屋買受の事実を演説した。
(7) 同人が多治見市に移転したためその後同人宛郵便物は一切土岐津局から多治見局へ転送されて配達されている。
(8) 同人は昭和二十六年三月二十二日本籍を土岐郡土岐津町高山から多治見市昭和町二丁目に転籍し、元住所である土岐郡泉町の寄留は抹消されている。
以上の次第であるから、原告等は昭和二十六年五月九日被告に対し右清水美里の当選の効力に関して異議の申立をしたが、被告は同年六月二十七日不当にもこれを却下し、原告等は同年七月七日その決定書の交付を受けたので、その決定の取消及び右清水美里の当選無効の判決を求めるため本訴に及んだと述べ、被告の抗弁に対し、住所は人の生活の本拠であり、この観念は客観的事実と主観的意思により定まるが、その意思は単なる本人の内心的意思ではなく、外部の事実から認定すべきもの、すなわち表示行為から判断さるべきものである。被告は本人の内心的意思を云為しているが、その妥当でないことは論を俟たないところである。なんとなれば、もしこの内心的意思を云為すれば何処へ移転しても(例えば外地から引揚げても)意思に変更なしとすれば住所は移転されないとされる不合理な結果を生ずるからである。本件について見るに、清水美里は、その全家族を引連れ、多治見市に家屋を購入し、家財道具を持つて移転し、衣食住一切の生活をしているもので生活の本拠が多治見市に移つたことは疑のないところである。又同人は自らその意思を他人に表明し、殊に選挙演説において多治見市に土地、住宅を持ち、骨を埋める覚悟であることを言明し、その聴衆である選挙民は同人が多治見市に移転したものと思惟しており、一方同人はその子供を移転とともに転校させて多治見市の小学校に入学させ、爾来引続き現住せる事実からして住所移転の意思あることは明瞭である。更に同人の元住家には稲垣経太郎は昭和二十六年四月中旬寄留を移し、続いて配給(主食)を移し、一方清水美里の妻の洋裁業は同年四月一日から稲垣綾子が主体となり経営せる事実からしても被告の主張は容れられないものであると述べた。
被告代理人は、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、事実上の答弁として次のとおり陳述した。
住所の意義については、選挙法規においても民法と同一の原則を採用し、一般に人の生活の本拠を以てその住所としている。しかして、何処がその者の生活の本拠であるかを定めるには専らその者が一定の場所を生活の本拠とする意思すなわち主観的要素と、生活の本拠たる事実すなわち客観的要素の両者を綜合判断してこれを認定するのが相当である。本件について見るに、岐阜県土岐郡泉町久尻四百八十番地に住所を有する清水美里が昭和二十六年三月二十六日多治見市昭和町二丁目四十八番地の家屋を借用したことはこれを認めるが、これは同人が同年四月三十日執行の岐阜県議会議員選挙に多治見市選挙区から立候補するについて同家屋を選挙事務所とし、ここを本拠として選挙事務を展開しようとして借用したものであるから、このことを以て住所の移転を云々する原告等の主張は明らかに失当である。従つて昭和二十六年五月一日、岐阜県議会議員選挙多治見市選挙区選挙長が選挙立会人立会の上同人が泉町に公職選挙法第十条第一項第三号所定の要件を具備していると認定し、清水美里を当選人と決定したのは適法であつて、原告等が昭和二十六年五月九日この決定に対して異議を申立て被告が原告等の異議を棄却したのは適法である。原告等が清水美里が住所を移転した具体的事実として主張する一につき、住所の所在は前記のように主観的要素と客観的事実の両者を綜合して認定すべきであつて、単にその者の主観的意思のみによつてこれを決定することはできない。なんとなれば、それのみによつて公法上の法律効果を決定するにおいては、同一人が同一県内において二以上の選挙権を有するという不合理が惹起されるからである。しかるに原告等は専ら清水美里の表示意思の存在を以て、同人が多治見市へ住所を移転したものであると主張するのであつて、これは前述の理に照らして採用の余地ないものであるが、仮りに一歩を譲つてこれらの表示意思が他の客観的事実との関連において採用することができるとしても、穂積勝之助に対する挨拶は、清水美里が昭和二十六年四月三十日執行の岐阜県議会議員選挙にあたり、多治見市選挙区から立候補するについての選挙上種々の含みをもつた事前的立候補の挨拶であり、このことはその発言の内容及び同日同人が訪問したのは穂積勝之助一人に限らず広く多治見市在住の政治家になされたこと、清水美里が多治見市選挙区から立候補すべくすでに選挙期日の告示以前から種々策動していたこと、更に同人が同年三月二十日岐阜県選挙管理委員会土岐地方事務局に赴き、住所地の属する選挙区以外の選挙の選挙区における立候補の法律的根拠を種々問いただし、同事務局において、その者が県内に公職選挙法第九条第二項及び同法第十条第一項第三号所定の要件を具備しておれば、住所地以外のいずれの選挙区においても立候補は自由であつて、その地にその住所を有する必要のないことの指示を受け、これにより行動したこと等のことから容易に裏付けられるのであつて、これを住所移転の挨拶と主張するのはいささか条理を離脱した自然に反する偏狭な見解であると謂わなければならない。又原告は同年五月六日多治見市小田町における座談会の席上清水美里が同様住所移転の挨拶をしたと主張するが、当選争訟は専ら選挙当時の事実を基礎としてその者がその時被選挙権を有していたかいないかを争うものであつて、当選人清水美里がすでに議員たる身分を取得(同年五月一日)した以後の事実は争の対象とすることはできない(地方自治法第百二十七条第二項)からこの点においても原告の主張は明らかに失当たるを免れない。従つてこれらの事実から清水美里が住所を他に移したものと見ることはできない。同二につき、清水美里が昭和二十六年三月二十六日前記泉町の住所から前記多治見市の家屋に泉町の住家において所有した家財道具を運搬したのはその約三分の一程度の最少限度であり、従つて当分の衣食に必要なものに限られていた。これは同人が多治見市に住所を移転するためではなく、前記のように立候補するについて同家屋を選挙事務所として、ここを本拠として選挙運動を展開しようとして借用したものであるから、全家財道具運搬の必要性がなかつたからである。このことは同人が家屋所有者長沼豊太郎から同家屋を選挙事務所として選挙運動期間中(同年四月末日まで)を条件として借受け、貸主も又これを条件として貸与した事実、同家屋は茶店風の作りで畳敷四畳一間に二畳一間の建坪十四坪程度の狭少な建物で清水美里の所有する全家財道具を収容することの不可能なこと、同人が選挙運動期間中そこを唯一の事務所として活用したこと等の諸客観的事実を以て容易に推察されるところであるから、同人が同家屋に家財道具を運搬したことにより泉町の住所を引揚げたものであるという原告等の主張は明らかに失当である。なお原告等は清水美里が仏壇をも運搬したというが同人は末子であるためこれを所有していないから原告等の主張は誤謬である。同三、四の事実はいずれもこれを認めるが、行政法上生活の本拠と認定すべき客観的事実はその者がその場所を生活の本拠とする意思と直接綜合関係を有するものでなければならず、これを窺知し得ない事実は住所認定の材料とすることはできない。清水美里は住所地選挙区(土岐郡選挙区)において立候補せず他選挙区である多治見市において立候補し同市内に家屋を借受け事務所を設置したため、その妻を立候補準備及び選挙中の混雑から生ずる雑務の整理等に当らせるため同伴したものであり、妻を同伴する限り、幼い四人の子供を手許におくことは親として当然のことであり、長男光美、次男正孝を多治見市に転校させたことも、同市より泉町への通学は危険が伴うので、選挙運動期間中の短期間委託生徒として就学するよう多治見市当局に交渉したところ、これを拒否されたため最後の手段として転校の手続をとるより致方のなかつたためであつて、長女わか子の入学についても同様であり、右三人の保護者である清水美里の住所を同選挙事務所と表示したのも転学手続上真に止むを得ざる措置であつた。従つてこれらの事実を以て同人が多治見市を生活の本拠とする意思を実現したものと認定するは不相当であつて、むしろ同人が同市における選挙運動を自己の有利に展開し、当選を確保するため真に止むを得ざる選挙政策上の手段としてとつた措置であると認めるを相当とするから、これを以て同人が住所を多治見市に移したものと見ることはできない。同五の事実は否認する。仮りにそのような演説がなされたものとしてもこれを裏付ける客観的事実が存しないからこれを以て住所を移転したものと見ることはできない。同六の事実は認めるが、その場所は清水美里の住所ではない。同七の(1)の稲垣経太郎一家転入の事実及び同七(2)(3)の事実は認めるが、これは清水美里が多治見市に選挙事務所を設け、家族を伴つて一時居を移すに当り、かねてその妻が泉町の住所において経営していたマルミズ洋装店に働きにきていた稲垣経太郎の娘綾子(二十八歳)に留守番を依頼し、綾子はこれを承諾して父娘交替で留守番をしていたが、同人等は土岐郡在岐津町辻町千七百二十一番地の住所から泉町に通うことは非常に不便を感じたので清水美里の諒解を得て全家族が泉町に居を移し留守を預かることになつたのであつて、このことは稲垣経太郎の住所認定の材料としてならばともかく清水美里の住所認定の材料としてその住所移転を主張することは当を得ない。同七(4)の事実は認めるが、これは取扱者が単に清水美里がその場所にいないことの故を以て一方的にしたことであるから、これを以て住所認定の資料とすることはできない。同七(5)の前段の事実は否認し、後段の事実は認めるが、これは泉町に清水美里が主として経営する株式会社日本物産に三四〇番の電話があるので、同人の事業上信用上何等の支障も来さないところから選挙資金を得るため売却したものであるから、このことを以て住所を他に移したものと見ることはできない。同七(6)は認めない。同七(7)の郵便物転送の事実があるとしてもこれは受領者清水美里がその住所に現存しなかつたからその所在に転送されたまでのことであつて、そのことを以て同人の住所が他に移つたものと見ることはできない。同七(8)の前段の事実は認めるが、これは前述のように、子供を多治見市の小学校に一時転校させるための手段としたものであつて、これを住所認定の重要な資料とすることはできない。後段の事実は否認する。
よつて原告等の本訴請求は失当であると述べ、なお、原告等が清水美里の当選の効力に関して異議の申立をしたのが昭和二十六年五月九日、被告がこれに対して決定をしたのが同年六月二十七日、原告等が右決定書の交付を受けたのが同年七月七日であることはいずれもこれを認めると述べた。補助参加代理人は、原告等が参加人の住所移転の具体的事実として主張する三につき、参加人は多治見市において岐阜県議会議員選挙運動中同市に選挙事務所を設置し、当選後該事務所を県会議員としての政治事務所兼宗教事務所(参加人は一燈園系信仰者である)とし、子女教育上の便宜から子女をその事務所に居らしめておるに過ぎない。参加人がもし落選していたら該事務所を引払つたのであつた。参加人の住所は泉町久尻であつて、現に同所において洋裁物仕立業を営んでいる作業手として稲垣綾子を使用しているのである。同七(1)につき、参加人の洋裁物仕立業のため作業手稲垣綾子をして管理せしめ参加人の不在多きため留守居として稲垣経太郎をも同居させており、表札も参加人の表札であり、参加人自身屡々該営業所に行つており、同所が参加人の主たる生活の本拠であつて、収入についても同様である。同七(2)につき、稲垣経太郎が自らの住宅を空けているのは留守居の依頼を解かれた際帰るべき場所の準備をしているのであり、これを以てしても泉町久尻の家が同人の住所でなく参加人の住所であることが明らかである。同七(7)につき、急速を要するものの廻送があつたことはある。参加人は土岐郡泉町の住民として納税し、同町久尻に住居を有して営業しており、多治見市においては納税もしておらず、同市昭和町における事務所は全く一時的の政治事務所に過ぎない。幼少な子を教育するにはなるべく程度高き場所で教育したい希望から便宜事務所におき、多治見市の小学校に通学させることとし、妻は参加人の不在多きため留守居や客の接待等をするため政治事務所に起居することが多いだけである。多治見市昭和町の家屋は住所ではないと述べた。(各証拠省略)
三、理 由
昭和二十六年四月三十日執行の岐阜県議会議員選挙に際し、参加人清水美里が同県多治見市選挙区において立候補し、選挙の結果、当選人と決定されたこと、原告等が右選挙の選挙人であつて、同年五月九日被告に対して右参加人の当選の効力に関し、異議の申立をなし、被告が同年六月二十七日その申立棄却の決定をしたこと、同年七月七日右決定書が原告等に交付されたことはいずれも当事者間に争のないところであり、原告等が公職選挙法第二百七条第一項所定の出訴期間内である同年八月六日本訴を提起したことは本件記録によつて明らかなところである。
しかして、原告等は右参加人は昭和二十六年三月二十六日従来の住所岐阜県土岐郡泉町久尻四百八十番地から同県多治見市昭和町二丁目に住所を移転し、右泉町における選挙権を喪失し、又多治見市においては選挙権を有するに至らなかつたから被選挙権を有せず、従つてその当選は無効であると主張し、被告は右原告等の主張事実を否認し、原告等主張の参加人の所在の移動は住所を移転したものではなく、参加人が右選挙運動期間中多治見市に選挙事務所を設置し、同所において選挙運動に従事していたものに過ぎない旨抗争するから、按ずるに、人の住所はその生活の本拠であり、何処がその人の生活の本拠であるかは、主として生活の本拠と認むべき客観的事実の存否によつて決すべきものであつて、その人が其処を住所とする意思を有するか否かは住所決定の絶対的要素と見るべきではなく、他の事情とともに考慮されるべき一標準に過ぎないものと解するを妥当とする。そこで本件について考えるに、
第一、
一、参加人が昭和二十六年三月二十六日頃、妻子を伴い、岐阜県土岐郡泉町久尻四百八十番地の従来の住居から同県多治見市昭和町二丁目四十八番地所在の家屋に移動し、爾来同所に一戸を構え、妻子とともに起臥して同県多治見市選挙区における同県議会議員選挙の選挙運動に従事し、その間及びその後においても同所において衣食住は勿論公私一切の生活を営んでいることは当事者間に争のないところであり、
二、参加人は右泉町の参加人方住家の属する町内会に対して昭和二十六年三月以降の町内会費を納入していないことは証人山田良吉の証言により、
三、参加人は右泉町から多治見市へ移動する際、妻かな子、長男光美(当時満九歳)、二男正孝(当時満八歳)、長女わか子(当時満六歳)、三男美治(当時満二歳)の全家族を同伴したものであることは証人清水美里、同清水かな子、同長尾秀治の各証言及び当事者間成立に争のない乙第一、二、三号証を綜合し、
四、右移動の際、参加人は、箪笥、小戸棚、事務机、小机、食台、下駄箱各一個、鍋、釜その他台所用品、蒲団三流れ、座蒲団五、六枚、漬物、炭、鑵及び同季節中において必要な衣類全部をトラツク一台に満載して運搬携行したことは証人清水かな子、同長尾秀治、同伊藤由久の各証言を綜合し、
五、参加人及びその妻清水かな子は、昭和二十六年三月二十二日、前記四子を伴い、岐阜県土岐郡土岐津町高山百七十一番地から多治見市昭和町二丁目四十八番地に転籍届出をなし、参加人は長男光美及び二男正孝を多治見市立昭和小学校に転校手続をとり、右四子を昭和二十六年三月二十五日(又は同月三十日)土岐郡泉小学校から転校、右昭和小学校に入学させ両親の許から通学させていたこと及び参加人の妻清水かな子は右転入学申出の際、その保護者の清水美里の本籍及び住所がいずれも多治見市昭和町二丁目に在る旨申出で、その旨入学通知書に記載されたことは前示乙第二、三号証、証人清水美里、同清水かな子、同石井英雄、同野村文子、同斉藤武の各証言及び当事者間成立に争のない甲第一号証の一、二を綜合し、
六、参加人は昭和二十六年三月中、訴外長沼豊太郎から同人所有の前記多治見市昭和町二丁目四十八番地の住宅をその敷地とともに代金十五万円で買受け、内金五万円を支払つたことは証人長沼豊太郎、同森正秋の証言により、
七、前記土岐郡泉町の参加人の住家は訴外土本実の所有に属し、昭和二十三年三月頃参加人において、爾後十年間の家賃金五万円を支払い賃借して居住し、参加人の妻清水かな子は昭和二十四年十月頃から同所においてマルミズ服装店を経営していたのであるが、同人は昭和二十六年四月頃、右服装店の営業を代金十五万円で稲垣綾子に譲渡し、稲垣綾子はその代金全部を支払つたことは証人土本実、同長尾秀治の証言及び証人稲垣綾子、同清水かな子の証言の各一部を綜合し、
八、訴外稲垣経太郎は、昭和二十六年四月十六日世帯主として、その妻すゞ、三女綾子、三男広幸、五女和子とともに、右泉町の参加人の住家所在地番に寄留する旨の旨を届出をなし、同月二十五日主食配給上同町に転入した手続をとつたこと、右稲垣一家がその頃右参加人の住家に移転したこと及びその住家の属する隣組においては同年四月分から隣組費用を稲垣経太郎から徴収していることは当事者間成立に争のない甲第四五号証、証人稲垣綾子、同長尾秀治の証言を綜合し、
九、右稲垣一家が泉町に引越した際には、稲垣方においては同家の隣組へはがき十枚ずつを配つて挨拶廻りをしたこと及び同人等がその前居住した土岐津町の家屋が空家になつていたことは証人稲垣綾子、同長尾秀治の証言により、
一〇、当事者間に争のない、参加人が右泉町の住所に架設していた電話(土岐津局二四五番)を前田仲一に売却し、その時期が右選挙運動当時であることは証人清水かな子、同清水美里の証言により、
それぞれこれを認めることができ、更に
第二、
一、倉地清及び松本巳之助経営の多治見市宮前町一丁目八番地に発声器を設置し、同市内各所に取付けた有線拡声器を通じて宣伝、告示事項を街頭放送する施設において、右選挙運動中の昭和二十六年四月下旬頃参加人承諾のもとに参加人のために選挙放送がなされたが、その放送原稿には「県会議員候補者、清水美里。多治見で骨を埋める清水美里。清水美里でございます。清水美里は、元婦人会講師。現職家庭裁判所調停委員。地方裁判所各種調停委員。政治を以て一生を貫く清水美里。清水美里でございます。昭和町二丁目に土地を持ち、住宅を持ち。子供も昭和の学校に御世話になつて居る清水美里。昭和町に本籍を持ち。多治見に骨を埋める覚悟の清水美里。多治見市の皆様と運命を共にする決心の清水美里は明るい県政を念願として立候補致しました。元運輸大臣岡田勢一の祕書。元婦人会講師。皆様の清水美里。多治見市の皆様と共に生き運命を共にすることを皆様に誓い神に誓う清水美里でございます。京都の一燈園、西田天香先生の教を受け、愛と誠と、ざんげと、奉仕を誓う、清水美里。県会議員候補者清水美里に来る三十日には皆様の清き一票を清水美里に是非とも御願い致します。重ねて皆様の絶大なる御支援を清水、清水美里に御願い申上げます。」とあり、従つて参加人は少くとも「多治見市に骨を埋める。多治見市民と運命を共にする」と放送させたものであることは証人松本已之助、同倉知とく、同丹羽千幸、同田中松十郎、同富田実、同清水かな子の各証言及び証人倉知とくの証言によつてその成立を認めることができる甲第六号証を綜合して、
二、参加人が右選挙運動の際多治見市内榎本座及び街頭において、参加人は住所を多治見市に移し、子供も同市の学校に入学させ、この土地で骨を埋める旨の演説をしたことは証人安藤貢の証言により
いずれもこれを認めることができる。さすれば、以上第一、第二の事実の存する限り、前段説示の住所決定の客観的及び主観的の要件を具備するものであるから、参加人は遅くも昭和二十六年四月三十日の右選挙の選挙期日においては多治見市昭和町二丁目にその住所があつたものと認定するを相当とし、前示第一の六の認定に反する、証人富田実、同清水かな子及び同清水美里の、多治見市昭和町二丁目四十八番地所在家屋は単に選挙運動期間中選挙事務所として賃借したものである旨の証言、同第一の七の認定と抵触する証人稲垣綾子及び同清水かな子の右泉町におけるマルミズ服装店の営業譲渡が昭和二十六年十二月又は参加人が当選後多治見市に住家を建築することになつた後である旨及びそれまで稲垣綾子が清水かな子に雇われその営業の留守番をした旨の証言及び証人清水美里の右営業譲渡はしない旨の証言は、当裁判所いずれもこれを措信しないところであり、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
しかして、被告は以上認定事実のうち、第一の一乃至七、一〇、第二の一、二は参加人において住所移転の意思の下にした行為ではなく、専ら選挙運動又は子女の養育、通学の便宜上採つた止むを得ない処置に過ぎない旨主張し、又参加人は右選挙運動中及びその後においても、右泉町民として納税し、同町久尻に住居を有して営業しておる旨主張し、
一、証人清水美里、同稲垣綾子、同伊藤由久の証言によれば、参加人が昭和二十六年三月二十六日泉町から多治見市へ移動の際、仏壇及び家財道具の全部を運搬携行したものでないこと、
二、証人山田良吉の証言によれば、前示泉町の参加人方住家の属する町内会における町内会費徴収等級別名簿における参加人の名義は抹消されていないこと、
三、前示乙第一号証、当事者間成立に争のない乙第四、五号証によれば、参加人は前示多治見市へ移転後も右泉町久尻四百八十番地の一に寄留籍をおいていること及び右選挙の当選証書、候補者届の参加人の住所がいずれも同所となつていること並びに同所選挙人名簿に参加人の氏名が登載されていること、
四、証人山田良吉の証言、当事者間成立に争のない乙第九号証及び甲第三号証によれば、参加人方の主食配給上の住所が右泉町に在つて本訴の提起された後まで同町配給所から主食の配給を受けていること、
五、証人水野利一の証言及び当事者間成立に争のない乙第十号証の一、二によれば、参加人は昭和二十六年四月十日右泉町において右選挙の不在投票をしていること、
六、当事者間成立に争のない乙第八号証の一、二、三によれば、参加人が昭和二十六年度町民税を泉町に納入したこと。
七、証人長尾秀治、同山田良吉、同土本実、同交告市郎の証言によれば、参加人は昭和二十六年三月二十六日の一両日前夜、隣家の長尾秀治、山田良吉、土本実、交告市郎等を右泉町の住家に呼び集め、同人等に対して県会議員選挙に立候補するため一時多治見市へ出向くから留守中よろしく頼む。留守宅は稲垣綾子に留守居させる旨挨拶したこと、
八、証人清水美里、同斉藤武の証言を綜合すれば、参加人は前示転籍届の昭和二十六年三月二十二日頃、岐阜県選挙管理委員会土岐津地方事務局において大嶽総務課長に対し、本籍、寄留籍の移動と選挙権との法律的関係を問い、同課長から寄留を他に移せば選挙権を喪失する旨を聞知したこと、
がそれぞれ認められるが、これらの事実は上敍の参加人の住所の認定を毫も妨げるものではないから被告及び参加人の主張はいずれも採用に値しない。
さすれば、参加人は昭和二十六年四月中遅くも同月三十日執行の岐阜県議会議員選挙の選挙期日までに、右住所の移転により、右泉町においては同選挙の選挙権を失い、多治見市においてはいまだその選挙権を取得しなかつたので、公職選挙法第十条第一項第三号によりその被選挙権をも有しなかつたのであつて、同法第六十八条第一項第四号により同人に対してなされた投票は全部無効であり、同人は同法第九十五条による有効投票の多数を得たものではないから、その当選は無効とすべきものである。従つてその当選を維持した被告の決定は違法であるから、とうてい取消を免れない。
よつて、訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条第九十四条を適用して主文のように判決する。
(裁判官 中島奨 長尾信 白木伸)